なぜ「家族なのに分かってもらえない」のか
困っていない人は、想像しません。
これは性格の問題ではありません。
その人は――
- 現場を見ていない
- 呼び出されていない
- 判断を迫られていない
ただ、それだけです。
現場に立たない人には、見えないものがある
介護も、相続も、
一部の家族だけが「現場」に立たされます。
- 急な呼び出し
- 時間の制限
- 決断の連続
- 失敗できない判断
この状態にいない人は、
想像しなくても生活が回ってしまう。
痛みがないと、想像力は動かない
人は、
自分が痛みを感じて初めて、
「もし自分だったら」と考え始めます。
👉 痛みがない= 想像力が動かない
そして――
家族でも、この構造は変わりません。
「分かってほしい」と思うほど、つらくなる理由
介護や相続の現場で一番つらいのは、
作業そのものではなく、
- 分かってもらえない
- 軽く見られる
- 当然だと思われる
この感覚です。
でもここで、「分かってもらおう」とすると、余計に苦しくなります。
なぜなら、
相手にはまだ“痛み”が届いていないから。
大事なのは、理解させることではない
必要なのは、説得でも正論でもありません。
- 誰が現場にいるのか
- 誰が判断しているのか
- 誰が背負っているのか
これを見える形にすること。
👉 想像力は、説明ではなく「状況」で動きます。
家族だからこそ、線を引く
- 家族は近すぎて、役割の線が引かれにくい。
だからこそ――
- やること
- やらないこと
- 共有すること
を、あえて分ける。
「家族だから分かる」ではなく、家族でも、「立場が違えば」見える景色は違う。



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