「がんばる」は高齢者には当てはまらないことがある
介護の現場でよく聞く言葉。
「がんばって歩こう」
「がんばってトイレに行こう」
「がんばればできるよ」
でも、「がんばる」という言葉は
“今はできないことを努力で乗り越える”
という前提があります。
高齢者にとって問題なのは
「できるかできないか」ではなく
やるか、やらないか
の世界になっていることが多い。
痛みがあっても「生活をやるかどうか」
腰が痛い。
若い人なら 「治ったら動こう」 「元気になったら再開しよう」
と考えられる。
でも高齢者は違う。
- 腰が痛いから動かない
- 動かないから筋力が落ちる
- 筋力が落ちるからさらに動けない
- さらに動かないから、もっと痛くなる
これは「がんばり不足」ではなく
生活量の低下の連鎖です。
病院という“守られた環境”の落とし穴
入院中は安全です。
- ベッド横に簡易トイレ
- 移動は車椅子
- 食事は運ばれてくる
- 生活動作はほぼゼロ
- 動くのはリハビリの時間だけ
この環境では「痛み」は減ります。
なぜなら
動いていないから。
しかし退院すると現実が戻ります。
- トイレは自分で歩く
- 布団から起き上がる
- 段差を越える
- 買い物に行く
すると痛みがぶり返す。
これは「悪化」ではなく
生活負荷が戻っただけなのです。
高齢者の身体は「使っていないと失う」
筋肉は年齢とともに急速に落ちます。
特に70代以降は
- 1週間寝ているだけで筋力が著しく低下
- バランス能力も落ちる
- 歩行スピードも落ちる
だからこそ
「治ったら動く」はもう通用しない
のです。
動ける範囲で生活を続けること自体が
リハビリになる。
本当の問題は「介護する側」にある
高齢の親が家にいるということは
必ず誰かが
- 見守る
- 支える
- 心配する
- 付き添う
- 仕事を調整する
ことになる。
これは外からは見えない。
介護は
“当事者にしかわからない重さ” がある。
- 夜中のトイレ
- 転倒の不安
- 痛いと言われたときの判断
- 病院に行くかどうかの迷い
- 自分の仕事との両立
これは経験した人にしかわからない。
「がんばる」ではなく「設計する」
必要なのは精神論ではなく
- 生活動線をどう整えるか
- 手すりをつけるか
- ベッドの高さを変えるか
- デイサービスを使うか
- 訪問リハを入れるか
つまり
生活を“設計”すること
高齢者の痛み
高齢者は
痛いからできない。
これは事実。
そしてその痛みは、
- 我慢できる程度ではないこともある
- 死にたくなるほどつらいこともある
- 夜も眠れないこともある
若い人の「ちょっと痛い」とは質が違う。
痛みは連鎖する
- 痛いから動かない
- 動かないから筋力が落ちる
- バランスを崩す
- しりもちをつく
- ヒビが入る
- さらに痛みが強くなる
この繰り返し。
座る高さが未来を左右する
例えば椅子。
- 低い座面 → 立ち上がれない → しりもち
- 柔らかすぎる → 体幹が崩れる
- 手すりがない → バランスを失う
ほんの数センチの違いが
- 転倒を防ぐか
- ヒビを防ぐか
- 介護度を上げるか
を分ける。
本質は「生活を続けられるかどうか」
大事なのは
- 腰が痛くても、どこまで生活を維持できるか
- 家族がつぶれない形を作れるか
- 入院→寝たきりの流れを防げるか
介護は
「がんばる」の問題ではない
「生活をどう続けるか」の問題
そして、これは相続にもつながる
介護が始まると
- 仕事を減らす
- 収入が下がる
- 親の資産管理が必要になる
- 実家をどうするか悩む
まとめ
高齢者は
痛いからできない。
そして痛みは
身体も、心も、脳も弱らせる。
だからこそ
「がんばる」ではなく
痛みを前提にした生活設計
が必要になる。








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